2018年11月22日

言葉のエネルギー

なんて書くと、まるでスピ系ブログのようですが......笑
実は、ちょっとそれに似た体験をしたのです。

一つ前の記事で、「直接会うコミュニケーションの重要性」への私の雑感を書きましたが、この頃、メール等の文字だけでいただく文章で、その方が言わんとする「本音」がわかるようになってきたのです。
わかる、と言うと、とてもおこがましいですが、たとえば一見ポジティヴな内容のメールであっても、実はその真逆の本音が込められた、その方の生の感情が強く込められた言葉や文章に目がいき、一読して感じてしまうみたいな。「木を見て森を見ず」の、結論の意図を読み違えているわけではなく、その反対で、たぶん的を射ている、というなぜだか自信があります、笑。

その言葉、フレーズ、文章だけが他から浮いているからです。
まるで、その方の声が聞こえるかのように、そこにエネルギーを私は感じているのかもしれません。

しかし、まったくの感情を排した事務的なだけのメールには、やはり、それを感じることができませんし、その方の心は見えてきません。むしろ、見えない、見せないように、事務的な要件のみのやりとりしかされないのかもしれません。

相手とどのようなコミュニケーションを図りたいのか。
私は、過度の忖度にならない、相手を信頼・尊重した「思いやり」を常に大事に、一つひとつのやりとりを心がけたいと思っています。