心からの納得
長らくブログが書けずにいました。
前回のブログ以降、まさに青天の霹靂と呼べるような出来事が起こりました。
この試練は一体何なのだ?
何かの罰なのか?
私1人だけならまだしも、一緒に動いてくれた仲間のことがありましたから、自分を責めました。責めてもしかたないのに、責めて責めて責めまくりました(笑)。
変化の年。大変容が起こる。
......と、いきなりスピな(精神世界の)話で恐縮ですが、いろいろな人から言われていたのですよ、実は。でも、小さな変化はたくさん経験していたので、それで終わりだと思っていたのです。真打が待っていたとは知りませんでした(笑)。
今なら理解できます。
それら全てが私に必要なことであり、完璧なタイミングで起こった必然だったことが。
なぜならば......。
本日の標題です。
納得していなかったのです、心からは。
どこかで「なんか、違う」と思いながらも、流れるがままに動いてしまっていました。
結局、心から納得していないことは、心からのエネルギーが生まれない。どこかでゆがみが生じ、それが大きくなっていった結果なのだろうと思います。
自分の心に、思いに、素直になること。
どこまでも、どこまでも。
それが一時的には傍目には愚かなことに思えても。
損をすることや遠い廻り道に思えても。
昨日、高校時代の親友からの連絡で、NHKFMラジオの小田和正さん特番のことを知り、往復の電車の中、帰宅してからと許せる範囲で夢中になって聴きました。
涙がどうしようもなく溢れてしかたありませんでした。
いろいろな思いが去来する中で、突然に天啓のように降りてきたコトバがありました。
財産、宝。
私が小田さんの歌声に衝撃を受け、オフコースファンになったのは、毎日辛くて辛くて、この世からシャボンのように誰にも悟られずふっと消えてしまいたかった高校生の頃。
私は、人が呆れるほどに馬鹿正直で、青くて、クラスメイトから将来を心配されるほどに純粋でした。
他人を蹴落としても良い点数を取り、偏差値の高い大学に行くためにカリカリ勉強する意味がわからず、それができない人間はダメ扱いされることがわからず、他人のことを考えない、他人への思いやりなんて何の得になるの?というクラスメイトになじめず。そんな学校システム、担任が好きになれず(正直に言うと、嫌いで)。家にも居場所がなく。
唯一の支えは、放課後の親友との語らいと音楽(部活の合唱とオフコース)でした。
私にとって高校時代は、二度と思い出したくない、封印したい過去でした。
でも、小田さんの歌を聞きながら、突然、わかったんです。
あれが私の「宝」だったんだ!
私の力の源であり、私らしさであり、私の原点は、まさにあそこだったと。
私はあの時から変わらず、自分自身を、宝を自分の中に持ち続けていた。
自分に正直でした。
自分にとても素直だったんです。
曲げなかった(曲げられなかった)、流されなかった、失わなかった。
だから、自分の中の「きらきら」を成長させることができたのだと。
私の感受性、感性、才能は、あの時太い根っこがつくられたのだと。
あの頃の自分に心から感謝にしました。
この気持ちは...そうですね...よく言う、「自分を許す」とか「過去の自分を認める」なんていう表現はしっくりきません。
ただただ、うれしかったのです。
本来の自分自身に触れた、忘れていた自分自身に会えた、閉じ込めて眠らせていた自分をようやく見つけ出したような感じとでも言いましょうか。
自分に素直になること=心から納得すること。
そして、心から納得することが自分を信じることであり、自分を信頼すること(スピ用語で言うところの「自分を愛すること」なのでしょうか)。
ぶざまで恰好悪くて恥ずかしい自分を含めて、自分の全てを信頼する。
そのゆるぎない自信を、お腹の底でしっかりと感じ取ること。
私にとって、素晴らしい、記念すべき日になりました。