2016年12月16日

無駄なことはひとつもない

また長らくブログを放置しておりました......。

きょうは、懐かしいある人に会ってきました。
かつて仕事をご一緒した、素晴らしい能力・知見・スキルを持った、現場からの信頼も厚い人です。

個人のことにかかわるので詳細は避けますが、数年前、彼にとって転機となるある出来事が起こりました。
諸事情が重なり、その後一線を退き、新しい環境で第2の人生とも言うべき道を歩んでおられました。

で。
きょう、彼がプロデュースしたという作品を見せていただきました。

その仕事の素晴らしさ!!!
完成度の高さ!!!
まさに、彼にしかできない、彼の能力・知見・スキルの集大成......。

完全復活です。

あの過酷な経験がなかったら、彼はこの仕事をすることもなかったし、いまの彼はありません。

私は確信しました。

これは、まさに、彼のために用意された仕事だったのだと。

「いや、必然的にやらざるを得ない状況だったから、無心にやってきただけ」

彼にしてみればそうでしょう。

しかし、今となってはですが、冷静に考えても、彼ほどこの仕事にピッタリの適任者はいません。

彼が培ってきたもの全てが生きるカタチで、細かいところまであたかも各ピースがカチッと気持ちよくはまるような確かさで、このハイクオリティな作品が完成したという事実がそれを物語っています。

大いなる力の存在、運命の流れのようなものを感じました。

ご本人にとっては、他人が想像もできない壮絶な苦しみの日々だったことと思います。
多くは語らなかった彼ですが、一時は命の危険もあったのだろうと察します。

でも、その経験はこの道に通じていた。
無駄なものは何ひとつなかったのだと。

彼の事務所を後にし、戻って仕事をしている時のことでした。
ふときょうの彼との再会に思いを馳せていると、突然に私を感情の波が襲いました。

次々と涙が溢れてきました。

なんだかうれしくてうれしくて。
彼がいまここに生きて、あらん限りの力を振り絞り自分らしい仕事をしてくれたことが。

人がいまここに存在し、生きて、目の前のことにただ真剣に向き合い誠実に事を成し遂げるという当たり前のことが、とてつもなく素晴らしいことだったのだと、いま初めてわかったかのような、新鮮な驚きと感動がありました。


誰かの役に立ちたいと思って、ずっと生きてきました。
しかし、私にできることなんて、たかが知れています。

ただ、目の前にいる人に私の持てる力を最大限使ってお役立つ努力をすること。それしかできません。

その地道なことを、自分の感性を信じて、無数の路傍の石の1個であるという自覚を忘れずに、愚直にやり続けること。

勇気をもらいました、ありがとうございます。