2013年6月19日

地域は生き物

梅雨です。蒸し暑い日が続いています…。
またまた更新をさぼってばかりでスミマセン!

さて、もうすぐ参議院選挙。
すでに期日前投票が始まっています。

安部自民党のTPP参加への掌返しといい、原発輸出・再稼働といい、この前TVで黒鉄ヒロシさんが「世の中のこと全てが経済(カネ)の理論で動いている。社会をよくしようという理想や理念じゃない」と、確かそんな意味のコメントをされていましたが、全く同意。資本主義社会とはそういうもの、現実はそうなんだからしかたないのでしょうか。
「仕方ない」と言いながら、そうした現実を容認することで、それを反映する社会の創造に加担しているのが私たちなのですね。

だから私は自分の暮らしや仕事の中だけでも、小さな反抗をして別の価値を追い求めていきたいと思っています。

ところで、いきなりで恐縮です。
「地域」とは何でしょうか?
人々が住んで暮らしを営んでいる場所のことですが、最近、しばしばこの「地域は」という言葉が使われ語られる時、私には人の顔が見えず、生きた人々のぬくもりが感じられない時があるのです。

それは、遠くに住む人間が画を描いて指図すればすぐに動く無機質なものではありません。
血の通った生きた人々の人生がそこにあります。
「地域」は生きものです。
当たり前ですが、そこに住む人々の意思や行動によって、今も動いています。
あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、行きつ戻りつしながら、少しずつ、ゆっくりと、時に勢いをもって、方向性はさまざまですが、進んでいます。
きれいな画の通りには進まない、けれども、人々の意思がある方向に向いたその時、ダイナミズムが起こるのも地域です。

「田舎は、地方行政は広報・宣伝が下手」
都市のクリエーターと呼ばれる方々からよく聞く感想です。確かに、そういう面はあるでしょう。
問題はそこから先。それに続く言葉が私は聞き捨てなりません。

「だから、それを"お手伝い"したいんですよね」

お手伝い......でも姿勢は思い切り「上から目線」じゃないかなぁ...。

「○○がダメだから、私がやってあげている」

このスタンス・表現も私は好きではありません。
いつも申し上げているように、答えは「現場」にあります。

私の少ない経験と知識をもって机上でつくった案は、現場の皆さんと本音で意見を交わし詰めていくことで初めて、現実に実践できる生きたビジョンや計画へと形を変えることができるのです。