2012年8月22日

スローフードとは何だったのか(13)

大切なもの、幸せは日常の中にある

引き続き、「スローフードとは何だったのか」連載の最終章。

食べものは日々の空腹を満たせばいいのか。
「食べ物は人々の人生の喜びとつながっている。それがなくなるということは文化的喪失です」
と、話すスローフードジャパン副会長の石田雅芳さんと、震災・福島第一原発事故から見えてきた、食べ物の本質について考える(聞き手・構成/永田麻美)。

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---石田さんは福島県のご出身ですよね?

そうです。だから、福島をなんとかしたい思いは人一倍強いです。ただ、放射線の被害については予測がつきません。安全宣言が出された福島産の米から相次いでセシウム汚染が見つかり、全県で検査体制を見直すことになりましたが、たとえばあと20年、30年後に目に見える形で子どもたちに影響が及んだりした時に、もちろん、出なきゃいい、出てほしくないですが、福島の農産物をどうやって守っていったらいいのだろうかと思うわけです。

いつからそこにあるのか誰も知らない信夫(しのぶ)山の歴史的な柚子は、品種も特定できないような地域種です。うちの父は地元の醤油会社の製造責任者だったので、信夫山の柚子を使ったドレッシングなどを開発していました。特別いいんです、信夫山の柚子は。皮が厚くて香り成分も多いので、工業製品としても使える。福島中の人たちが愛好し続けてきました。しかし、いまその地域の放射線量がものすごく高く、出荷停止になっています。いつ解除されるかも不明です。

世界中のスローフード運動家たちに呼びかけた、福島の品種を移動するという案は、福島の産業への保険だと考えました。万が一その地域のもの、その地域にしかないモモや柚子が食べられなくなった時に、健全な遺伝子を持った苗をどこかに保存していればまた復活させることができます。かつてヨーロッパ全土でブドウの品種が疫病により絶滅した時に、南アメリカにあった苗で復活させました。同じような「保険」がいまの福島に必要なのではと思っています。これはまだ始まったばかりのプロジェクトです。


---TPPが発動されると、遺伝子組み換えの規制も緩和され、多国籍バイオ化学メーカー・モンサント社の種子や苗がどっと入ってくるでしょう。自分たちの食べるものの種すら、自由にならない時代がくるかもしれない。地域種とか固定種、原種など在来のものがいかに大切かということですよね。

種苗の問題というのは確かに政治的な問題であると同時に、人々の喜びとつながっているということが重要なんです。これは生物学的戦いであり、人々の人生の喜びの獲得への戦いです。家の食卓から信夫山の柚子が消えたとき、それは生物学的損失であると同時に文化的な喪失です。
お祭りの日には信夫山の柚子を使った飴を食べ、正月には柚子で香り付けをした料理をつくります。そうした日常の小さな喜びのコンテンツの中に信夫山の柚子が入っている。食文化に直接関係しているわけです。
つまり、食べ物の尊厳と喜びを守ることが重要なのです。信夫山の柚子農家、菅野善光さん(13回).jpg
▲信夫山の柚子農家・菅野善光さん


---しかし、食べ物が空腹を満たすためだけであれば、種なんてなんでもいいということになります。しかも収量が多く、栽培がラクなのであればこっちのほうがいいじゃないかと。

それに反論できる鍵はどこにあるのかといえば、食べ物の道理、食べ物の喜び、食べ物のおいしさなど漠然とした抽象的なものばかり。だから地域種も原種もなくなっていってしまう......。


---その点はもうずっと繰り返し、石田さんのお話の中に出てきたことですけれども、漠然としたもの、抽象的な概念を理解できるか否かが非常に重要だということですね。ヨーロッパ人、特にイタリア人は漠然としたものを言葉にしたり、形として表してこれを大事にしようと必死になってきたわけですね。

その通りです。
歴史学の言葉に「踊り場理論」というものがあります。階段の途中にある踊り場は、それがある時には、誰も有用性に気がつかない。ところが、なくって初めてそのありがたみ、意味がわかる。そうしたことが人間の社会の中にはたくさんあります。それが日常の小さな喜びを構築していたり、日常生活の持続性に貢献している。

実はどうでもいいものに真実が隠されている時があるんです。そうしたものをどこまでも物質主義的な社会の中でポカポカ捨てていった時に初めて気づくわけです。「そういえば信夫山の柚子味噌を使った田楽を食べなくなったね...10月10日のお祭りの店先に柚子飴が並んでないね...」と。

日常の幸せって実につまらないことだったりします。ありきたりで忘れちゃっているんだけど、なくなると喪失感に襲われてしまうもの。
それがスローフードが守ってきた、踊り場にある食材なのだと思います。
→ (14)へ続く

石田雅芳(いしだ・まさよし)
1967年福島市生まれ。同志社大学文学部美学芸術学専攻、1994年よりロータリー財団奨学生としてフィレンツェ大学に留学。1998年よりフィレンツェ 市公認美術解説員、その後日本のメディアの現地コー ディネーター、イラストレーターなどを経て、2001年より2007年に帰国するまでスローフード国際協会の日本担当官。現在スローフード・ジャパン副会長。