スローフードとは何だったのか(12)
ポジションは、良きミッドフィルダー
スローフードは3.11の東日本大震災をどう捉えたのか。
どのような震災支援をしていくのか。具体的に何に義捐金を使っていくのか。
スローフードジャパン副会長の石田雅芳さんに聞いた(聞き手・構成/永田麻美)。
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---今後、スローフードジャパンとしては国内のコンヴィヴィムをどう引っ張っていかれるのでしょうか?
新しい協会のありかたとして、先導を切って引っ張って行くというイメージを目指しているわけではありません。12月(2011年)のテッラ・マードレ雲仙は大成功に終わりましたが、基本的に大きなイベントで集客することもまだ考えていません。2011年は内政を固めてゆく1年間だったと思っています。強い露出をもった国際・国内組織に代表される協会から、地方の運動を最大限に尊重する協会に方針を変えつつあります。それはテッラ・マードレなどにみられるネットワーク重視の政策に関係しています。
ペトリーニ会長は「コントロールされたアナーキズム」、「複雑性を怖れない協会」を提唱しています。この言葉は、ややもすればピラミッド型のビューロクラシーに埋没してしまう国際協会を、思想的に救うことになったと思います。日本の運動としては、各地で普段の活動をしている人たちが主役になっていくように、サッカー用語でいえば、スローフード・ジャパンは「よきミッドフィルダー」でありたいと思っています。
かつては、イタリア的な、カリスマがボールを蹴ってその後ろをみんなが走るようなやり方には皆があこがれました。しかし、日本でそれは難しい。むしろ、我々中央組織は、人々が蹴ってくるボールを上手にゴールする、あるいは回す立場が適していると思っています。社会に対しても強力なポジションニングをする前に、まずは食の世界を総覧しながらコーディネートできるような、ホリスティックな協会でありたいと思っています。
---ちょっと具体的にイメージしにくいのですが......結局、なんでもありということでしょうか?
なんでもありといえばそうなんですけれども(笑)。みんなが自主的にやることを邪魔しませんし、動いているものをことさらコントロールしたりもしません。その代わり、「どこまでをやってよいのか」という線引き・決まり事を明示していきたいと思っています。がんじがらめにするという意味ではなく、むしろそれによって、みんなが生き生きと活動できるよう、自由の範囲を明確に示したいなと思っています。
---震災支援に関してはどのようなことを?
これまでもアックイラの大地震や、チリ地震などの復興の際に、「プレシディオ」などの地域食材を中心とした局所的な支援をしてきました。
しかし、日本のような大規模の災害にはまだ立ち向かったことがありません。
スローフードジャパンでは、今回の震災で被災地の食べ物がどのような状況にあるのか、危機的状況にある食材は何かについてまずは正確に把握したいと情報収集(モニタリング)を始めています。八戸から詳細な震災後の食べ物のレポートが来たのですが、鈴なりになっているイチゴが泥に埋まって出荷できなかったり、魚市場の魚の加工場が粉々になったりしています。
これまで主要メディアで報道された被害はほとんどがインフラの話です。しかし、先ほどのリアス・アーク・ミュージアム(気仙沼市)のキュレーター山内さんの話(前回記事にリンク)のように、文化自体が危機に瀕しているものもあり、それらの中には今努力すれば守れるようなものもあるのです。
仙台の焼きハゼは、ある1軒の家族だけが作り続けていましたが、震災で作業小屋が流され、まさに絶滅の危機に瀕しています。こうした食材を、小さなレベルの「味の箱舟」のような形でマッピングしていこうとしています。
---義捐金については?
保護品目になっている仙台の焼きハゼの生産者から網と船と加工場がほしいという具体的なリクエストがありましたが、最近このトピックに対しては別個に義捐金を集めることになりました。イタリアの全ての会員に配られる国際雑誌の2011年12月号でも日本の地震と津波特集が組まれ、義捐金再募集の記事が掲載されました。
また、先ほどのリアス・アーク・ミュージアムの山内さんが「町の記憶」を収集する活動を始めています。あの惨状を目の当たりにした気仙沼の子どもたちが、自分たちのまちの風景をあのまま記憶していくには忍びない、震災前のよかったころの気仙沼の、文化、食べ物の記憶を呼び起こそうという活動に美術館を挙げて取り組んでいます。これまで集めた義捐金の一部をそこに使わせていただこうと考えています。
---福島第一原発事故の被災地支援については?
現在、福島の会員たちとスローフードジャパンが一緒に進めようとしています。産品が売れずに困っている現状を支援しようと、放射線量をきちんと確認しながら、福島の食材を東京の青空マーケットで販売する試みも行われています。福島はとてもデリケートな問題を抱えています。住民の皆さんのいろいろな思いがありますので、政策的に必ずしも原発反対運動をするというポジショニングはとれないようです。
国際レベルで呼びかけた義捐金の多くは、チェルノブイリ事故のイメージから、「放射線被ばくから日本人と産品を助けよう」という思で集まったものです。そこで、寄付をしてくれた人たちの満足のために使いたいと、当初は放射線被害から子どもたちを、動植物を守ろうという意味合いを持たせるために「地域固有種を非難させること」に使おうと考えていました。
しかし、そのこと自体が福島に今も住む人たちの心にどんなイメージを与えることになるか。それに、物理的に困っている切迫した状況の現地の人たちを前にして、安易に「生物多様性を守らなければ」などとは言えません。福島からのリクエストは、まず彼らが大切にしてきた酒米の田んぼの除染作業に義捐金を使いたいというものでした。
→ (13)へ続く
石田雅芳(いしだ・まさよし)
1967年福島市生まれ。同志社大学文学部美学芸術学専攻、1994年よりロータリー財団奨学生としてフィレンツェ大学に留学。1998年よりフィレンツェ 市公認美術解説員、その後日本のメディアの現地コー ディネーター、イラストレーターなどを経て、2001年より2007年に帰国するまでスローフード国際協会の日本担当官。現在スローフード・ジャパン副会長。