2012年8月22日

スローフードとは何だったのか(11)

スローフードは、震災復興のキーワード

3.11の東日本大震災が日本人と日本社会に与えたダメージはとてつもなく大きかった。
同時に、いかに脆弱な社会システムの中で生きていたか、本当に大切なものは何だったのかを思い知らされた。

「スローフードとは何だったのか」の連載もいよいよ最終章。

今回から最終回までの3回は、スローフードはこれからの社会にどうコミットしていくのか、またそのプレゼンスはどこにあるのかを、スローフードジャパン副会長の石田雅芳さんと共に考えていく(聞き手・構成/永田麻美)。

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---東日本大震災で受けた被害、危機を石田さんご自身はどのように受け止められたのでしょうか?

まず、3.11以降に我々が直面した危機はいったい何であったのかをきちんと再考しなければならないと思っています。インフラがダメージを受けたり、加工施設が粉々になったりなど物資的な被害は間違いなくありました。そうした中で我々はこの日本という国の不思議な社会システムに気付き始めています。日本は民主主義を標榜している普通の国であると思っていたけれども、どうも微妙に違うなと。

最も不思議なのは、たった1つの民間企業が政治家の言動をにぎり、メディアを規制して、1国の行政や司法システムに影響を与えることができて、産業のベースであるエネルギー政策を牛耳っているということです。だとすれば、その企業はもはや我々の国家そのものだったのではないかと思いました。

その状況を我々は是正することができるのだろうか。いや、それすら難しいということがわかってきたわけです。たとえば真の民主主義国家であれば、福島第一原発の事故のような事件が起きた場合、民衆が有効にマニフェストする場所、政策的スペースが必ず存在します。

日本では、6万人の集会を行っても大手新聞の中には報道しなかったところもありまし。新聞というのは漠然と民の味方だと思っていたけれども、必ずしもそうではなかった。原発の再稼働反対には日本中の多くの活動家たちが反対しましたが、議会での議論によって再稼働を始めているのが現状です。

欧州の国々は原発問題に非常にヒステリックになっています。民が政府の政策に声を挙げています。イタリアでは国民投票が行われてベルルスコーニ首相はその政策を引き下げなくてはならなくなりました。でも、私たちにはその手立てがどこにもない。


---何やっても何も変わらないという無力感ですよね。

でもそれは今に始まったことではありません。日本の郵政が民営化されたときも、僕らは何も具体的な説明を受けていません。国家政策に対して僕らは本当にリンクしているのだろうかと思うわけです。

今、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加問題が議論になっていますが、これまでにもアメリカ主導型の農業政策や環境政策が世界中をのしてきました。
たとえば、EUの中で多国籍企業主導の政策を通す時には農民の顔なんか見ていません。日本でTPPへの参加を決める時にも、農業者の顔なんか見ていません。


---そうした中、スローフードとしてはどのような方向性を目指していくのでしょうか。

TPPが発動されれば、激しい価格競争が起きます。お米も、海外で大規模生産されたものが二束三文で入ってきます。その時に戦えるものは何か。1つしかありません。きちんと売れるものをつくること。クオリティの問題です。また、それを消費者がきちんと理解し、商品を愛してくれる構造をつくっていかなくてはなりません。
たとえば、日本の米が3000円、アメリカの米が1000円である時、日本の米を選ばせる根拠は何か。まさしくスローフード的な根拠なわけです。おいしさであったり、歴史性であったり、自分はこの味が好きだ、おじいさんもおばあさんもこの味を食べてきたし、この味に合わせて自分のまわりにある全てのガストロノミーが構築されてきたという説得力です。

これからの食べ物は、まずは"おいしく"あるべきです。それが武器になっていきます。享楽ではありません、新しい政策です。
同時に、その産物が地域的なものに有機的に結び付けられているように仕向けていくべきです。地域の食べ物にはそれが存在し続けてきた地域的なコンテンツがあります。歴史、風土、地理的・気象的条件など。さらには地域の祭りがあって、歌があって、踊りがある。その地域の喜ばしいものを包括するような場の演出の中に、地域食材が位置づけられていくべきだと思います。それを心から愛好することで、外国の製品から自国の製品を守ることができるようになると思います。


---昨年(2011年)9月、イタリア大使館にてスローフード協会のリーダーズ会議が開催されました。

この時、気仙沼市から出席したリアス・アーク・ミュージアムの主任キュレーターである山内宏泰さんが、非常に示唆に富んだ発言をしました。
「形ある物は津波で流されてしまったけれども、気仙沼の文化は流されてはいない。もしそれらが失われてしまうようなことがあれば、それは人災である」

スローフード気仙沼会長の菅原昭彦さんは、言いました。
「これから復興していくにあたって、進むべき方向性はまさにスローフードだと思います」

2人の言葉に、スローフードは震災復興のよいキーワードになると確信しました。

スローフードリーダーズ会議(11回).jpg▲2011年、スローフードリーダーズ会議の様子。

東北という地域は非常に強いアイデンティティーを持った市町村が存在しています。気仙沼市は8年前から自治体として「スローフードシティ」を提唱しています。1998年、スローフード運動から派生した国際的ネットワーク「チッタ・スロー(ゆっくりしたまち)」(環境保全、市民に便利な街のインフラ、都市計画、地域産物の利用流通促進、観光・保養客へのもてなし、市民の意識、景観の質などを満たしているまち)との連携も考えているところです。

菅原さんは地元の蔵「男山酒造」の社長でもあります。とてもポジティブな方で、震災直後、ラジオで彼が新酒を絞り始めているという話を聞いて、すごいなぁと感動したのを覚えています。まだ電気も復旧していなかった時に、周辺の雪をかき集めて酒を冷やして発酵調整したそうです。大変な苦労をされたと思いますが、電話をすると、今でも「ボンジョルノー!」と言って出てくる本当に愉快な方です。
(12)へ続く

石田雅芳(いしだ・まさよし)

1967年福島市生まれ。同志社大学文学部美学芸術学専攻、1994年よりロータリー財団奨学生としてフィレンツェ大学に留学。1998年よりフィレンツェ 市公認美術解説員、その後日本のメディアの現地コー ディネーター、イラストレーターなどを経て、2001年より2007年に帰国するまでスローフード国際協会の日本担当官。現在スローフード・ジャパン副会長。