2012年4月29日

弥高山(岡山県高梁市)エリアの魅力と食情報を発信するサイト、できました!

てまかえ+S(シスターズ)のまた新しい作品、できました~!

岡山県の高梁市に地元に人たちに愛されている、すてきな山があります。
山頂は360度のパノラマ、何と言っても魅力は、初冬の条件のよい早朝に見ることのできる雲海! 登山道には、48体の石仏が置かれており、古くは「弥高48カ所めぐり」も行われる、いわば霊山、信仰の山でした。そんな神秘の山は、実は、キャンプサイト、ロッジ、貸別荘、バンガロー、山の家など豊富で充実したアウトドア宿泊施設が人気の知る人ぞ知る穴場。弥高山公園は、ちょうど春のつつじに始まり、アジサイ、紅葉…と四季折々の美しい自然が楽しめる手軽な観光スポットとして親しまれてきました。

この公園事務局のある施設内に、2011年春、食の新名所が誕生しました。
「郷土料理かっこう」です。公園内施設の指定管理者である川上町観光協会から「やってみないか」と白羽の矢が立てられた地元の女性加工グループ「かっこう」は、加工食品の製造の技術力の高さには定評があったものの、飲食店経営は初めて。その上、公園内のその飲食施設は、これまでどの業者が入っても経営がうまくいかなかったという経緯もあり、不安だらけのスタートでした。
しかし、蓋を開けてみれば、順調に客足を伸ばし、早くもリピーターを獲得!

「わたしら何の技術もないから、ただ地元の新鮮な素材を使った野菜ばっかりのお料理を、薄味で、化学調味料を使わず出しているだけ」と謙遜する中心メンバーの渡部さん、内田さん。なんの、なんの、そのお料理の質はホントに高い!
絶品は、なんといっても「かっこう定食」についてくる「さしみこんにゃく」。これまでいろいろな地域の生で食べるこんにゃくをいただいてきましたが、こんなにも弾力、甘み、喉ごし全てのバランスがピカイチのこんにゃくには出会ったことがありません。このこんにゃく目当てに来店する人もいるほど。

おいしいこんにゃくをつくるために、敢えてつくりにくい土地を選んでこんにゃく芋を栽培する徹底ぶりです。生芋100%、手ごね、手作りです! もちろん、他のお料理も素材の活かし方、味付けともに、一度は味わっていただきたい逸品ばかりです。

この食の新拠点=「郷土料理かっこう」ができたことを機に、他にもある魅力的な地域の資源・要素を組み合わせて、効果的にこのエリアの情報発信をしようということで、てまかえ+Sの次女(竹森まりえ)と長女(私)ががんばりましたっ。

 

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2012年4月28日

人間にとっての良心

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▲「結城学校同窓会」には、結城先生にお世話になった各地の生産者の皆さんが食材持参で駆け付け、手作りの最高の「食」を振る舞ってくれた。写真は、「鳴子の食」のテーブル。

久しぶりに宮城県大崎市の鳴子地区へ行ってきました。
師と仰ぐ民俗研究家の結城登美雄先生が第61回河北文化賞(河北新報主催、東北の学術、芸術、体育、産業、社会活動の各分野で顕著な功績を挙げ、東北の発展に尽くした個人・団体に贈られるもの)を受賞されました(先生、本当におめでとうございます!)。
そこで、結城先生の子弟が集い、受賞をお祝いする「結城学校同窓会」が、“鳴子の米プロジェクト”有志が中心となって催されたのです。

震災後、毎日、泣いていたという結城先生。
被災地に電話すれば、「もうこんなところに住みたくない」、「もう来ないでくれ!」と強い拒否反応を示す人たちに打ちひしがれたそうです。それでも勇気を振り絞って、1カ月後各地を訪ねてみれば、あんなに電話では拒絶していた人たちが、「よう来てくれた、ありがとう」と歓迎してくれ、「こんなになってしまって…もういいところだなんて言えないけれど、ここがどんなにいいところか何度も通ったおめぇならわかるよな、知ってるよな」との言葉に、ただただ「うんうん」とうなずきながら、涙するばかりだったとのこと。
結城先生のお話を聴きながら、私も涙が溢れてしかたありませんでした。

宮城県石巻市北上町十三浜小指も、津波で船も漁具も失いました。
しかし、震災後の正月、結城先生が訪れた時には、変わらず、海に向かって献膳し、頭を下げる人々の姿がありました。
大晦日に船に大漁旗を掲げ、舳先に松と注連縄を飾り、船の守り神「お船魂(ふなだま)さま」に1年の感謝をささげ、新年の豊漁を願う儀式です。
津波は物理的な破壊をもたらしましたが、人々の中に残る文化や風習、「心」は、流されてなんかいません。
海の人々は、また同じこの場所から、暮らしを始めようとしています……。

結城学校同窓会に向かう新幹線の中で、つらつら考えていたことがありました。
現代はどうして、たとえば米や野菜を作るのが好きで、海が好きで、懸命に仕事して、暮らしていくだけのおカネを稼いで幸せになることが難しい時代になったのでしょうか。
なぜ、普通に真面目に仕事をして誠実に生きようとする人間が、こんなにも生きにくい世の中になってしまったのでしょうか。

おカネ、数字、合理性、経済性という物差しだけで測る資本主義社会、貨幣経済、市場原理主義だからです。
私たちは、そのワナにハマったラットです。終わりのない、出口のない迷路を回り続けることを強いられているように思えてきます。

でも震災後の東北を、日本を復興させるのは、これまでと同じ物差しではないと思っています。
東北の人がいまも持ち続けている、大いなる自然への畏怖の念、その自然とともにもう一度生きようとする謙虚な姿勢と心。
これを、多くの日本人が取り戻すこと、思い出すこと。
日本を救う道は、グローバリゼーションの波に乗ることでも、TPPを利用することでもありません。

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2012年4月14日

写真集『あなたとわたし わたしとあなた』

次々とページをめくりながら、私は溢れる涙を止めることができませんでした。
1人ひとりの、自然体の、生きている姿、表情から、働き、自ら生活費を稼ぎ、社会の歯車の1つであることへの喜びが、輝くばかりの強いエネルギーとなって、想いがけず、まるでたくさんの矢のように私に向かって飛んできたのです。

なんて、素敵な本でしょう!!

尊敬する障害者教育の第一人者・谷口奈保子さんより送られてきた、NPO法人ぱれっとの本、『あなたとわたし わたしとあなた~知的障害者からのメッセージ~』です。

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ぱれっとが経営する職場(おかし屋ぱれっと、スリランカ料理&BEER Palette、ぱれっとインターナショナル・ジャパン)、余暇活動の場(たまり場ぱれっと)・ケアホーム(えびす・ぱれっとホーム)・障害者と県除湯者が共に暮らす家(ぱれっとの家 いこっと)で活動する、働く、暮らす知的障害者の日常の何気ない表情、笑顔を捉えた写真には、それぞれ短いコピーが添えられています。

「守られるだけじゃなくて、だれかの役に立てるのはうれしい」
「働くのは楽しいことばかりじゃないけれどやめようと思ったことはない」

生きていくことはラクではありません。何のために生きているのか? 自分が生きていることに意義がある、他人の役に立っていると実感できたとき、他人に認められて初めて、人は生き甲斐を感じるものだと私は思っています(中には、権力欲や支配欲からおカネを儲けること自体に生き甲斐を見出している人たちもいますが)。

この本を閉じた時、心の底から湧きあがってきました。
ああ、生きててよかった!

 

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2012年4月 8日

地域活動と地域づくり

地域を元気にすること=地域活性化、地域づくり、地域おこしなど…いくつかの言葉で表現されます。
私が使うのは「地域づくり」。
「地域活性化」は、響きがカッコよいのですが、分かったようで分からない。
私にはしっくりきません。
「地域おこし」は、なんだか上から目線のように思えます。
地域を起こすって……じゃあ、その地域は寝てるってことですか?
それでは、その地域の方に失礼な気がします。
あくまで私の感覚です。

いえ、呼び方はどうでもよいのです。
きょうのテーマは、地域活動と地域づくりの違いです。

ここに、行政からも一目置かれているような活動的な団体・グループがあります。
とにかく、たくさんの活動を毎年精力的に行っている団体・グループです。
1つひとつの活動は、大変に素晴らしく、それを毎年複数行っているのですから、敬服に値します。

ただ、どれも地域活動なんです。
長年継続していても、なかなか地域活動から地域づくりへと発展しない…。
なぜそうなるのか。目的と手段のすり替え、いわば「手段の目的化」です。
たくさんの多様な個々の活動はあくまで地域を元気にするための手段です。
なのに、個々の活動を行うこと自体が目的化して、本来の目的が消えてしまっている、いえ、最初から、「目的」がないケースを多く見かけます。

自分の地域を「こうしたい」、「こうありたい」という絵を描かないまま、あるいは曖昧にしたまま、ただただ、走って行く……。
これではやがて活動はマンネリ化し、構成員は疲労し、活動全体が疲弊がしていきます。

地域活動は個々の動きであり、それを「こんな地域にしたい」という強い理念や哲学に基づき具体的な「絵」を描き、地域全体をコーディネート・マネジメントしていくことが地域づくりだと思うのです。

外部の人間が地域にできることなんて、たいしたことはありません。
しかし、当事者ではない分、全体を俯瞰することができます。
課題を整理し、道筋をつけ、一緒に方向を探ることができます。
そうして、私も共に歩ませていただきたいと思っています。