言葉が足りない(2)
(1)の続きです。
タイミング良く私が出会ったその書籍とは、『言葉が足りないとサルになる』(岡田憲治著、亜紀書房)。
専修大学法学部で教鞭を取る岡田先生が、ゼミの学生たちと交わした奇妙でリアルな会話や、学生からの謎のメールなど、思わず噴き出してしまうような、でも冗談でもなんでもない「言葉が足りないことで起きている怖い現実」がそこにありました。
「幼児語を使ってはいけない」。
著者のこの指摘に、目からウロコが落ちました。
「うざい」「マジ」「きもい」「っていうか~(っつうか~)」「~っぽい」「チョー」「ヤバイ」といった言葉は、今や社会やテレビの中に溢れています。これらを耳にするたびに、なんだかモヤモヤとした嫌な気持ちにさせられていました(特に私は、「っていうか~(っつうか~)」が嫌いです。この語尾を伸ばした妙な接続詞を乱用する人と話すと、ものすごくイライラします)。
その理由が本書を読んで判明しました。
幼児語多用の会話は、今や若者に限りません。いい年の大人たちの日常生活にもしっかりと浸透しています。
なぜか。これらの幼児語を使うとラクなんです。本来説明しなければならない内容は省略され、ワンワード表現で済みます。
たとえば、「この企画、どう思った?」、「彼の発言はどう?」など、「How」の質問には「微妙」の一言で答えられます。
面倒なことは「ウザイ」の一言で済みます。よけいなことを言わなくても話が通じてしまうのです(通じているような気になる)。
言葉で説明することをしないうちに、センテンスをつくって会話をする機会が減ってゆき、文章が書けなくなる…。まさに、著者の言うところの「言葉を使わないと、サルになる(アホになる)」です。