2011年11月28日

スローフードとは何だったのか?(5)

議論を嫌い、枠を重んじる日本社会

スローフードが日本社会で一大ブームとなるも根付かなかった根本の原因は、日本人とその社会の特性にあった。

第5回は日本にスローフードが定着しなかった要因を探る最終回。

前2回(スローフードとは何だったのか(3)(4))で明らかにしてきたスローフードに対する日本人の捉え方をさらに掘り下げ、さまざまな場面でのイタリアや西洋と日本社会の考え方の違いについて、スローフードジャパン副会長の石田雅芳さんと共にさらに見ていく(聞き手、構成/永田麻美)

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▲イタリア人をはじめとする西洋人たちは何かを始める時には、文字・文章・言葉にしてやりたいことを明確にする。だが、日本は石田さん曰く、アプローチが全く逆。"ぼんやり"、"ほわん"と捉えて始めるのだという(photo/林 泉)


――スローフード協会はあくまでコミュニケーション戦略を行う団体であると。

はい。ですが、そのことが日本ではなかなか理解してもらえません。
スローフードでは希少食品を守る「味の箱舟(アルカ)」や小規模生産者を地域で支える「プレシディオ計画」などの食べ物を守る運動を随分行ってきましたが、オフィスにはつい最近まで農学部を出た人間いませんでしたし、植物や生物学やった人間もいませんでした。その代わりに、そうした専門家と頻繁に連絡をとったり、生産者たちを説得するなど、とにかくよくしゃべってコミュニケーションすることがスローフードの伝統なんです。

まずは食を通していろいろな人たちとコミュニケーションをとることに始まり、だんだんに具体的なアイディアに向かっていきます。食べ物を守る、マニフェスト作る、EUの政策に発言するといった動きは後から出てきたものなんです。

その上、日本ではたくさん喋る人は信用してもらえないということがあります(笑)。だから、アソシエーションの運動を言論活動であると規定すると、「口ばっかりの団体か」と言われて終わってしまいます。
イタリア人たちがスローフードの名の下に行っているような人々に訴えかけるような演説をしたり、トピックの定まったイベントをやるなどのメッセージ性を前面に出すというのが日本人は不得意だし、嫌いですよね。

今回の震災で気が付いたのですが、日本が特殊なのは、もしかすると常に災害に脅かされているという特殊な自然環境の中にいるからではないかと。どうして僕らは集団で生きなくてはいけないのだろう、人々の利益を考えながら、優しく生きていかなければいけないのだろうと。日本国民はそういう風に生きないと、この自然環境の中では暮らしていけないのではないか。
だから、西洋社会とは思考回路も社会形態も全く違うし、コミュニケーションの仕方自体も欧米人とは違う。その点が、イタリアのスローフードとうまく合わないところだったかなと思いますね。

また、日本人はシステムが完備してからでないと動けない。欧米では、中身があってそれをまとめるためにシステムをつくるというオペレーションですが、日本人にとっては、たとえば会員証が届かなかった、自分のデータが間違っていた、会報誌が来ないといった枠組みの部分に欠陥があると、全てがダメな協会だと烙印を押されてしまいます。そうした点がイタリア本部と軋轢を生み出しました。


――何をしている協会に属しているかということよりも、こういうシステムの下に自分がいるということの方が大事ということでしょうか。

名詞の肩書をどうするかということと同じです。そうすると、支部の中にも会長がいて、副会長がいて、事務局員がいて、事務局長というのがいて......と役職がどんどん増えていきます。日本のアソシエーションは、みんなにメダルを上げないと進まないんです。ただ、みんなが役職付きで偉くなって、みんな何もしない(笑)。

スローフード協会というきちんとしたシステムが本部に存在していて、日本人は、その「箱」を輸入しようとしたわけです。それができなかったので腹を立てたのです。ネガティブなものが積もり積もって、みんなのサポートのためにつくった組織なのに、みんながそれにぶら下がり始める。そうするとみんな、「なんでこれをやってくれないんだろう」、「どうしてこうしないんだろう」と、どんどん第三者的、評論家的になっていきます。

サポーターであるにもかかわらずサポートをしないで、みんながサポートされることを望むわけです。今度は、評論家となった会員からの非難をかわすために、事務局がどんどん官僚的になっていきます。アソシエーションは別に誰が偉いというわけでもなく、それぞれが役割を発揮して動かしていくものでしょ? このヒエラルキー構造の中で誰か偉い人がいて、その人たちがやってくれることをみんなが口を開けて待つというシステムを、新しい態勢になった時にやめようという話になりました。2011年2月、会長、副会長という役職は残したものの、会長にはまったく新しい人材を据えました。現在の会長は飾らない非常に真面目な人で、名古屋のIT会社の社長です。今、彼がものすごい勢いで改革を進めています。


――スロフードや『ソトコト』バッシングには、「それで彼らは儲けようとしている」、「生産者が儲けの道具にされてる」という主張がありました。

当初、わっと寄ってきたインポーターたちの中には、「味の箱舟」プロジェクトで選定された産品を日本に輸入しようとしていた人たちがいて、その時に「スローフードの商業的利用」というテーマが日本で声高に叫ばれたんです。この時、スローフードは清い物であり、お金とは無縁のものなければならないといった偏った解釈をされてしまったがために、さまざまなものが滞ってしまいました。NPO法人として経営していくには、きちんとした収益活動があって、それを事業のためにまわしていかなければならないのですが。ありとあらゆる商業活動が禁じられるような雰囲気ができてしまったんです。


――本部は商業活動を禁じているのですか?

いいえ。商業活動を目的とするような運動をスローフードがやらないだけです。ただ、日本では孫支部まで乱立するような複雑な状況でしたから、最初は厳しくしました。そうしないと、みんなスローフードマークつけて商品を節操なく売り始めますから(笑)。

スローフードは、経済的な価値の還元を最後にしているだけです。スローフードが守った食材がどれだけ経済活動に寄与しているかをミラノのボッコーニ経済大学が調査した結果、全ての商品の価値が上がっていました。生産者が増えていた、価格が上がっていた、生産量が増えていた、といった具合にネガティブなものは1つもありませんでした。中には元の250倍の値段が付いた豆もありました。
スローフードは経済活動を否定もしていませんし、しないのでもありません。いきなりそこに飛び付かないだけです。


――よく日本の地産地消運動は日本版スローフードだと言われますが。

不思議なのは、日本では地産地消に使っている食品のクオリティを語る人が誰もいないこと。地産地消とは、地域経済に貢献する商品を開発、または復活させてそれを地域で消費することですよね。食べ物は文房具や自動車とは違います。食品は、その地域のアイデンティティーであり、そこに住んでいる人たちの生活の一部だと思うのです。

スローフードでは、「食べ物をモノにしてはいけない」という言い方をします。食べ物を単なるモノにしてしまうと、どこにでもあるまんじゅう、最中、パッキングされた漬け物になってしまいます。そこにクオリティが伴わない限り、その食品は生き残ってはいけません。食べ物を売るからには、最もコミュニケーションするべきファクターは、「味」ではないでしょうか。
(6)へ続く

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▲『スローフードマニフェスト』(石田雅芳・金丸弘美著、木楽舎)はスローフード啓蒙の書。より深くスローフードとは何かを知るには『スローフードの奇跡』(カルロ・ペトリーニ著、石田雅芳翻訳、三修社)がおススメ(photo/石田雅芳)。

石田雅芳(いしだ・まさよし)
1967年福島市生まれ。同志社大学文学部美学芸術学専攻、1994年よりロータリー財団奨学生としてフィレンツェ大学に留学。1998年よりフィレンツェ 市公認美術解説員、その後日本のメディアの現地コー ディネーター、イラストレーターなどを経て、2001年より2007年に帰国するまでスローフード国際協会の日本担当官。現在スローフード・ジャパン副会長。