ローズガーデン物語 第15回 豊かさの形(3)
ほぼ2カ月ぶりの更新です。
その間に、震災被災地支援に行く方々の取材やそのつなぎをしたり、世田谷区千歳船橋で知人の娘さんが開店されたカフェで使う食材探しやちょっとしたおもしろい試みをお手伝いしたり……と一応、動いていました(笑)。
このカフェでの“試み”ついては、これからゆるりとお知らせしてゆきます~。
そして。「いちぐう」サイトの更新を怠っている間、8月から連載させていただいていますジアスニュースはしっかり毎月記事を上げています。よければそちらもどうぞご覧ください。
http://theearthnews.jp/theearthlab/ichigu/index.html
ジアスニュースの編集室からは、連載当初からこの「いちぐう」サイトにも同じ記事を掲載してかまわないとの許可をいただいているのですが、「そのうちに」と思っているうちにこんなにたまってしまいました(汗)。
近々こちらにどんどん記事を移していきますので、少々お待ちくださいませー。
さて、こちらも久々の登場。桜庭さんの「ローズガーデン物語」の第15回です。
前回本場のガーデニングを体感しようと職場の先輩と渡英した桜庭さん。
さらに美しい庭の数々を目の当たりして、生活の中に溶け込んだイギリスの庭文化に、日本との違いを痛感します。
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2つ目に訪れたガーデンは、世界的に有名なヒッドコート・マナー・ガーデンHidcote Manor Gardenである(写真上はダリアの咲く庭)。
このガーデンは、イギリスの田舎といわれるコッツウオルズの北に位置した静かな田園地帯の中にあった。
シシングハースト同様、ナショナルトラストの管理下にあるこの庭園は、アメリカ人のローレンス・ジョンストンにより30年の歳月をかけて完成した。
彼は裕福な家庭に育ったが、造園の専門家ではなかった。この庭の特徴は、敷地を生け垣で幾つも仕切り、「アウトドアー・ルーム」と呼ばれる部屋に見立てた庭が25も造られていることである、と日本から持ち込んだガイドブックには記されていた。
到着した時刻が、ちょうどお昼時であった。食事を先に済ませてからゆっくりガーデンを見ることにした。
入り口近くにファーストフード風のランチを食べさせる店があった。
半戸外で、砂利敷きの上にアウトドア用のテーブルと椅子が出ていた。
その先に数人の行列ができていた。私たちも列に加わった。自分の番がきた。
紅茶とパン、ソーセージの載ったサラダを組み合わせたパネルを指さした。プラスチックのお盆に皿が並んだ。
支払いを済ませ、砂利敷きのテーブルに席を取った。
日差しはあるが、帽子をかぶっているのでそんなに暑くは感じなかった。
緯度が高いせいだろう。日本では、じりじり照りつける日差しの下で食事はとれない。
青空に浮かぶ白い雲を時折眺めながら食事を取った。
斜向かいにいる初老の英国人夫婦もおしゃべりしながらランチを楽しんでいた。
この当時の日本では、見られない光景である。
京都の有名な庭園の敷地内でランチを食べさせる店など存在しない。
ライフスタイルの違いであろう。
庭を造るという行為は、洋の東西を問わず自らの権力と富を誇示するためだが、その楽しみ方は全く異にしている。
▲スイレンの庭
小さな小屋を通り抜けたところで、体格のよい女性にチケットの半券を切り取られて庭に出た。
このヒッドコート・マナー・ガーデンは、ガーデンの構想を練る段階から「どんな庭にしようか」主のローレンス・ジョンストンが楽しみながら造った鼓動のようなものが伝わってきた。
お客を楽しませてくれる。直線上に見通せるビスタ軸。その両サイドは見えない。
小さな入り口から中を覗くとこちらの庭とは違うもう一つの小部屋のような庭が現れる。
イチイの大きな垣根で、鳥や三角屋根の門を刈り込んでお客の目を楽しませている。トピアリーの遊び心が随所に見られる。個性豊 かでエレガントな庭が次々に現れ、お客を飽きさせない。
日本の庭は、こうはいかない。一部の支配者階級のシンボルとしての庭である。大自然の風景をコンパクトに収めた庭が多い。黙って眺める庭。瞑想するための庭。茶室の延長線上に広がる庭である。ゆっくり庭を眺めながら歩けば、大名になった気分にもなれる。どちらがいい、というようなものではない。
いずれも豊かさの象徴である。 (第16回へつづく)