ローズガーデン物語 第12回 ハーバルライフの勧め(3)
桜庭さんのローズガーデン物語です。
12回目の今回は、この物語の主題。
桜庭さんがハーブとの出会い講座を通して感じてきた農業の別の側面について、これまでの日本農業と農業教育について思いを巡らせます。
農業高校の教育の実態も見えてきます。※写真はラベンダー染め講座の様子
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ハーブについて一から学び始めるに当たって、私は、某協会の通信教育を受けることにした。勤務する傍ら、物事を体系的に学ぶには、教える仕組みの整っているところで学ぶことがよいと考えた。大学や専門学校に通って学ぶことができれば一番よいのであろうが、地方で仕事を持つ身にとっては、大学に通うことは不可能であった。その点、通信教育は、自らの責任と能力で学べる。その後は、実践を積んで実力を付けるしかない。
じっくり1年をかけるつもりで学び始めた。すると、今まで勝手に描いていた概念の狭さを知った。ハーブの利用の仕方によっては、いろいろなことができる可能性が見えてきた。ハーブを使った料理、クラフト、染色、化粧品、シャンプー、石けん、庭づくり。
ハーブを種から栽培すること。その苗を使ってキッチンガーデンやハーブ園を造ること。
ハーブ園から収穫して、料理に使ったり、クラフトを作ったり、染色を楽しんだりすることが可能になってくる。ハーバルライフの勧めである。栽培とハーブの 利用の仕方を教えるカルチャーの世界が見えてきた。農業高校の新しい授業の形が見えてきた。
▲ハーブで作ったクリームとリップクリーム。自分のための手作り化粧品だ。
▲香り豊かなバラの花びらで作ったローズソルト(右下)で食べるジャガイモ(黄色が濃いのはインカのめざめ)はどんな味?
わが国の農業、農政、農業教育。この一蓮托生ともいえるそれぞれが、長い間質より量を得るための栽培技術に力を入れてきた。戦中、戦後の食糧難という歴史的背景からやむを得ないことではある。高度経済成長期を過ぎてもしばらくは、質より量の時代が続いた。そのための「栽培技術」が、重要であった。
お米の魚沼産コシヒカリが、美味しいお米の代名詞になった頃からようやく「量より質」に生産者の目線が向くようになった。それでも、美味しいお米を作るための「栽培技術」が重要であることに変わりはなかった。
農業=農家=生産者が、農産物の生産に留まっている限り全体の枠組みは変わらない。農産物を加工、流通、販売する過程のうま味を生産者は長い間知らないできた。むしろ、知らせないことが政策となっていた時代であった。家康の時代から「百姓は、生かさず殺さず」の政策が続いていた。国家を束ねるのに、そうすることが支配者には都合がよかったのである。戦前の海外移民、戦後の工業立国のための労働力の供給源としての農業、農村。
農業高校が、栽培技術一辺倒の教育を見直すのは至極当然のことである。流通や販売するための技術、付加価値を付けるための技術に教育内容をシフトするのは、時代を読めば自然の流れである。ここ20年で全国の農業高校にはこの流れに沿った学科が増えた。喜ばしいことであるが、ここに来て少子化による高校の統廃合が進んでいる。統廃合のうねりの中に、農業高校もまた呑み込まれている。統廃合のうねりから離脱するためには、かなりの存在感、アピールできる新たな使命を担わなければならない。知恵者の集まりが求められている。 (第13回へつづく)
▲オーストラリアで見た某民家のキッチンガーデン。豊かさの本質を改めて考える……。