Vol.1 農業者人材育成の助っ人、田中進さん
『大事なのは、昨日来た研修生が戦力になる、素人集団で回せる仕組みにすることです。』
「農業に可能性はいくらでもある」
そう自信を持って言い切る山梨県中央市の農業生産法人サラダボウル社長の田中進さん(36歳)。前職は、外資系金融機関のトップ営業マン。年収7000万円の生活を捨てて郷里に戻り、農業者に転身しました。
脱サラして立ち上げた農業生産法人サラダボウルの売り上げは、3年で6倍に。働くのは、平均年齢25歳の若者たちです。彼ら、実にいい顔しています。農業に夢中です。
2005年11月、田中さんは農業に夢を抱く若者たちのために「NPO農業の学校」を設立しました。
どうすれば、若者たちが希望の持てる農業が実現できるのか?
第1回目は田中流農業者育成論をお届けします。
▲田中さん。農業という「仕事」に大事なこととして田中さんは、「体のケアとモチベーション、作業効率」の3点を挙げる。最近では企業の農業参入のセミナーの講師の依頼も。ビジネス、経営の視点からの独自の分析が実践的と好評だ。
サラダボウルのオフィスであるアパートの1室。床に弓なりに曲がった棒が転がっている。 「えっと、まずこれから話しましょうか」
と、笑顔を向ける田中さん。長さ2メートルくらいのその棒を器用に扱いながら、突然、体操を始めた。この棒と農業とどういう関係が?いぶかしく思っていると、
「現代人は、身体の使い方がヘタなんですよ。だから変に疲れるんです。農業作業が終わったら、きょうの疲れを明日に残さないケアが必要なんです」
この棒、Vシャフトと言うらしい。
「間違ったことを間違ったやり方でやるから、身体を壊すんです。あ、ちなみに僕、これでだいぶお腹もへこみました(笑)」
なるほど。新規就農した若者たちが体力が続かずに挫折したり、定年後農業を始めたはいいが腰を痛めて諦めたという話をよく耳にする。彼らよりもずっと高齢であるプロの農家の方が動きが軽く、何より所作が美しい。
「要は身体の使い方なんですよ」
プロの農家は身体の使い方なんていちいち気にしないし、新入りに教えることもない。そんなことは現場で、体験的に覚えるものだった。だが、それが挫折者を増やしている遠因の一つだとしたら。「盲点」だった。目からウロコが落ちるとはこのことだ。
農業こそ、僕の仕事!"農業者"のDNA、目覚める。
田中さんの実家は米と野菜を作る専業農家。幼い頃は農業が大嫌いだったという。授業参観日、軽トラに乗ってやって来る母親が恥ずかしくてしかたがなかった。
「絶対に農家になるな」。それが両親の口癖だった。
大学卒業後、大手銀行に就職。その後外資系の生命保険会社で営業マンとして華々しく活躍。
「でも、いつも心のどこかで満足していなかった」
仕事を通じて多種多彩な業種の人たちに出会うも、「生き生きと働いている人がいなかったんです」。忙しく過ぎ去る毎日の中、ふと脳裡を過ぎるのは、自身が 作った野菜を堂々と自慢する父の姿。ハウスの温度管理に失敗してサクランボが全滅した時は、「チクショーッ!」と叫ぶといきなりかぶっていた帽子を地面に 投げつけ悔しがっていた父。感情を露わにするほど仕事に夢中になれる父が、かっこよく思えてきた。
この仕事をしたら誰が喜んでくれるのか――。常にそれを意識しながら仕事をしてきた。だが、駆け引き、建前、理屈の世界のビジネス界から純粋な感動を得ることは難しかった。
「それに比べて農業は、おいしいものを作った時にはみんなに素直に喜んでもらえる。農業こそ、素晴らしい仕事なんじゃないかって思うようになったんです。たぶん、僕の中の"農業のDNA"が目覚めたんだと思います」
金融マンとして多くの会社を支援するうち、自ら事業を興したいという気持ちも芽生えてきた。 「この企業の事業計画を農業に置き換えるとどうなる?」
仕事をしていても考えるのは農業のことばかり。金融の仕事を通してあらゆる業種と関わり、見えてきたこともある。古い体質である農業には未開拓の部分が多い。いわばフロンティア。やり方次第で課題を解決できるはず。
人生のミッションが決まった。
「羨ましがられる、憧れられる、農業の新しい形を作る」
2004年、名古屋での10年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、帰郷。着々としたためてきた事業計画を基に、農業生産法人(株)サラダボウルを設立、社長に就任した。
進歩が見えると意欲が生まれ、現実と向き合い成長する。
田中さんは、「かつては新規就農なんてやりたいヤツがやればいいという『虎の穴』だった」と、言う。
現在、状況は変わったのか? 否、「やりたい人にチャンスと場を与えているだけ。それは教育じゃない」と、田中さんは手厳しい。
「農業をやりたい人間が10人来たら、そのうち何人就農者を出せるか。それが農業の人材育成。就農を目指してくる若者たちの最大の不安は、将来が見えない こと。だから、モチベーション(意欲)が沸かず、ギブアップしていく。つまり、去年の自分と今の自分の違い、進歩がわからない。去年と比べて何ができて、 何ができていないのか。それが明確になれば大丈夫、いけますよ」
現在、サラダボウルでは15名のスタッフが働く。ほとんとが農業未経験者。アパレルの店長兼デザイナー、製薬会社の営業マン、元カメラマンなど前職の業種はさまざまだ。
しかし、このサラダボウルの若者たち、みんな実にいい顔をしている。違うのは目。将来農業で本気で食べていきたいという強い意思が、その目に表れている。
虫食いで穴あきの葉物は商品にならないと、売り先からクレームで呼び出され、いくらこだわっても商品にならないものを作っては商売にはならない現実をつ きつけられる。ならば次はどうすべきか土と植物、何より自身と向き合って考える。だから、地に足のついた実践的農業者が育つのである。
▲(上の写真)トマトのハウス。「農業の大前提は、お客さまに喜ばれるおいしいものを提供すること」と、田中さん。全国各地の200件以上の農家を訪ね歩き教えを請い、土、微生物、植物生理と自然の関係などを丹念に研究した。サラダボウルの野菜は売り先からの評価は抜群だ。
スタッフに多くを求めず、作ることに集中させる。
農業に必要な人材とは?
「セ ンスがなくても正しく導けば、仕事を任せられる。普通の仕事が人よりできなくても、夜中、気になって畑を見に行ってしまうような人は、最後にいいものが作 れます。農業の人材育成がうまくいかない理由は、人材を労働力としかみないこと。だから雑用に疲れやめていくんです」
と、田中さん。
「見えてくるんです、目の前の野菜の戦略が」
現在、サラダボウルでは毎朝5時半から1時間の勉強会が開かれている。有機農業や作物の生理生態について学ぶ。
「勉強がこんなに楽しいものだとは思わなかった」
若いスタッフたちはそう口にする。
勉強会は強制ではない。朝起きが苦手で参加しない人もいる。畑作業に遅刻するスタッフがいれば、別のスタッフが自然と作業をカバーする。
「各自が認め合っている。そのままの存在でいい。だから、生き方として楽なんです」
田中さんはスタッフに多くを求めない。作ることに集中させ、夢中にさせる。
「僕は雑用係、マネージャー(笑)。社長の仕事は、現場を放っておいてもいい方向にいくようにするだけです」
▲(上の写真)作業中のスタッフの皆さん。
昨日来た研修生が戦力になる形、作業をどうつくるか。
また、同年、研修生の受け入れを始めた。
だが、一人ひとりにじっくり向き合い、付き添うように育てていたつもりが、「ちっともうまくいかなかったんです」
そのうち気づいた。
「さりげなく支えないとだめなんだと。それに僕はプレイングマネージャー(選手兼任監督)をどう育てるかを考えていた。でも、経験がない人たちはたくさんのことができない。反省しましたね」 金融機関勤務時代、多くの企業を見てきた。
「エースで4番に頼れば、ベンチャー企業はつぶれる。短期的には利益が出ても持続する力がない。素人集団で回せる会社になることが大事」
要は「普通の子を育てる」。普通の人が活躍できる環境、場をどう整えるか。
「きのう来た研修生が戦力になる形、作業をどうつくるかなんです」
田中流農業人材育成は、「毎年甲子園で優勝するチームを作る」こと。新しい研修生の面倒は、少し前に来た研修生が見る。線が切れずにつながっていく。
試用期間を終えた研修生が残るか否かを決める時、田中さんが他のスタッフに決まって聞くことがある。
「あいつと一緒に飯を食べたいか?」
みんなが頷いたら合格だ。
▲(上の写真)スタッフの一人藤野愛美さん。女性はほかに2名。田中さんによれば、近頃は農業の就職イベント「農業人フェア」に集まるのも半分は女性という。
農業を「仕事」にするための「NPO農業の学校」誕生。
サラダボウルを設立した頃、地域のチラシにパート募集の小さな広告を載せた。広告掲載当日、朝から電話が鳴りっぱなし。ようやく取れた電話が60件。45名を面接した。
こんなにも農業をやりたいと思っている人、農業に興味を感じている人たちがいる。......衝撃だった。
「でも、みんな農業を知らなすぎる」
農業の実習を行う学校はある。だが、現実の農業は教科書通りにはいかない。また、学校で行うのはあくまで用意されたフィールドでの作業。農業という「仕事」の現実を知る場所がない、教わる場所がないのならば、自分で作るしかない。
「確実に、ニーズはある」
2005年、田中さんは満を持して、NPO農業の学校を設立。全国の優秀な農業者仲間の協力を得て、研修先を確保。研修生にとっては、短期・長期で期間 を選べる上、研修先は全国好きな地域のプロの農家。生産現場で実践的な訓練を受けることができる。また、農業技術、資金、機械のレンタル、住居、農地、農 産物の販路までのきめ細かい支援を受けられ、就職先も紹介してくれる。
「思い立ったらすぐに農業が学べる場所」(田中さん)であるNPO農業の学校は、農業を目指す人と農家をつなぐ組織であり、農業未経験者を即戦力として育てるインキュベーションなのである。
育った子が巣立っても、人が人を、笑顔が笑顔を連れて来る。
おいしい野菜は心をやわらげる力を持っている。
数ヶ月に一度は、スタッフが店頭に立って販売するのだが、ある時、空芯菜を試食販売した。 「あらっ! 野菜を食べないこの子が......」
ある母親の声のする方を見れば、幼い女の子が小さな手で試食用の空芯菜を口に運んでいる。あの子だった。一度立ち去ったのに、一人で戻ってきてまた食べている。
「この子、人見知りが激しくて、これまで私のそばを絶対離れなかったのに。こんなこと初めて!」
驚きつつも満面の笑みを浮かべ駆け寄ってきた母親は、サラダボウルのスタッフに言った。
「絶対にがんばって作り続けてくださいね。これからもずっと」
そんな言葉を一度でもかけられたら、もう農業がやめられなくなると田中さんは言う。
明日もがんばって農業を続けようと思えるのは、自身の作った作物を食べてくれる人、使ってくれる人からの「声」と、一緒に頑張れる仲間の存在なのである。
「自分らしく生きたいから、僕は農業という仕事をしている。僕は農業で幸せに生きたい。そのためには現場で汗して働く人が一番幸せになる、つまり、ちゃんと儲けて、ちゃんと給料がもらえる仕事にする」
▲(上の写真)こちらは、炒めたり煮つめるなど調理用のイタリアントマト。「ミキサーでつぶしてフライパンで10分ぐらい水分を飛ばしただけで、簡単でおいしいトマトソースができますよ」(田中さん)。
サラダボウルで働くスタッフには独立志向が多い。せっかく育ったスタッフが巣立っていくのも、「人が人を呼んでくるんです」と、意に介さない。
「独立できる力をつけさせるような会社でなきゃダメなんです」
ここから、日本農業は変わっていくかもしれない。
▲(上の写真)色も鮮やかなラディッシュ。現在、サラダボウルは地元40店舗と取引する。
(取材を終えて)
「何事も『人』が大事」とはよく言います。何を実現するにも、誰と一緒に仕事をするか、誰と組むかは非常に大切です。組織の質は人材がつくります。
しかしながら、何でもできる優秀な人材はそうはいません。だから、各人が持つ得意分野をどう生かし、どう活躍してもらうか......に組織のトップやマネージャーは腐心するわけです。
田中さんのように全体の仕事を単純化し、どんな人間が就いても即座にできる仕組みで総合力を発揮、且つ、個人が明確な目的を持ってもって成長していくこ とができる組織・人材育成論は、私には非常に新鮮に写りました。何より、「エースで4番でなく"普通の子"を育てる」の言葉にはインパクトがありました。
最後に田中さんが、苦しい時に前進する秘訣を教えてくれました。
「見栄を張らずに『今、実はうまくいってない』と言えると、ラクになりますよ」
そうそう、何事も正直になることですよね。