2008年8月18日

山梨の食文化を支えるワイナリー。ワインツーリズムが地域を変える。

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第1回目は、山梨県甲府市で地域づくりに取り組む地元在住のお2人「ソフトツーリズム(株)」の笹本さんと大木さんです。
80以上のワイナリーがある山梨は、欧米で盛んなワインツーリズムを日本で体感できる唯一の場所。独自の考えを持つつくり手たちが醸すさまざまなワインの味を楽しみ、彼らと語り合う。伝統的に「地産地消」が基本の山梨ワイン。であるなら郷土の生活文化"資源"として真ん中に据え、まちづくりを進められないか?
近年、この「ワインツーリズム山梨」事業がメディアでも注目を集めています。
まだまだ途上にある「ソフトツーリズム」のまちづくり。お2人の出会いから現在に至るまでの軌跡を追いました。

ワインツーリズムへのいざない。
地元の"祭り"、ワインフェス。

6月2週目の土曜日の夕刻、甲府市内にある「フォーハーツカフェ」に次々と人々が集まってきた。若者が多い。お目当ては、ワイン。山梨県産のブドウだけを使った自慢のワインを、県内の3つの老舗ワイナリーが振る舞いながら、カフェの有機野菜を中心とした料理に舌鼓を打つ。今回で7回目。参加者は自由気ままに飲んで食べながら醸造家たちと触れ合いワインや食について語り合う。

▼笹本さん。フォーハーツカフェの前で。

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主催者の挨拶も各ワイナリーの説明もなし。初参加者はちょっと面くらう。
「それでいいんです。イベントとしての仕切りがなければ、初めての人も、仕方ないから自然に近くにいる人と会話するようになります」
と話すのは、「ワインフェス2008」の主催者である「ワインツーリズム山梨」代表の笹本貴之さん(37歳)だ。
山梨には80以上のワイナリーがある。国産ワインの一大産地として重要な役割を担い山梨の食文化を築いてきた「宝」だ。「まずはそのことに地元の人々が気づき、魅力を楽しんでもらいたい」との思いが根底にあるという。
ワインフェスは、いわば地元の"祭り"。そもそも祭りは地元住民が日常の「ケ」を離れて楽しむ「ハレ」の場だ。ならば、何やら楽しそうだぞと引き寄せられてきたよそ者は、この一時でも地元コミュニティーの仲間に入れてもらい楽しみのおすそ分けをもらうことにこそ醍醐味があるというわけだ。
とはいえ、始めた当初は試行錯誤。レストランを貸し切り、笹本さんの仕切りでワイナリーのオーナーらが説明しながらワインと食事をふるまうディナースタイル。毎回の参加者は10人ほどだった。
「それを僕が止めさせました」
と語るのは、フォーハーツカフェオーナーの大木貴之さん(37歳、セツゲツカLtd代表)だ。笹本さんを支える参謀であり、ワインフェスの企画担当だ。
「この店もそうですが、新たな楽しみのスタイルを提供するのに、"型"は要らない。明確な意図があればいいんです。堅苦しい主催者挨拶なども余計に感じます」
会場を「フォーハーツカフェ」に移して現在の形式にしたのは2年程前。まずは店の常連客をターゲットに集客した。次第に笹本さんの友人、知人、親類らが加わり、少しずつ人数を拡大。その半年後には山梨ワインのポータルサイトをオープンし、さらに県産のブドウにこだわるワインのつくり手たちを紹介する雑誌『br』(ビーアール)を発行。サイト利用者や雑誌の読者は全国に広がり、ワインフェスへの参加者も増えてきた。
なぜ、あえて甲府市内の都会的な店を会場に?
「こういう店が東京にあるのと、山梨にあるのとは意味が違う」
と、大木さんは言う。
「来店される方にとっては店の敷居が高い。だから、ファストフードやファミレス志向の方はいらっしゃいません」
ある意味、篩(ふるい)にかけられた顧客、「知的好奇心のある、主体的な人たち」(大木さん)が集まる場になっていると大木さんは説明する。

*ワインツーリズムとは? ワインの産地をゆっくり巡りながら緑溢れる風景と美酒・郷土料理を楽しむ旅。欧米では各ワイン産地をつなぐ「ワイン街道」が政府観光局が紹介するなど、広く親しまれている旅のスタイルの一つ(Webサイト「山梨ワイン.com」より)

俺が変えていかなければ意味がない。
"考える人"笹本さんの心の軌跡。


笹本さんの著書『サンドタウンに吹く風』。

  DSC_0037.jpg「哲学者になりたかった」

そう、笹本さんは語り出した。大学では哲学を学び、卒業と同時に「民主主義の本場をこの目で確かめたい」と、単身渡米。丸2年のアメリカ生活では、ワシントンDC地区のスラム街のコミュニティー改善事業に参画し、帰国後その体験を素に現代アメリカ社会を問うノンフィクション『サンドタウンに吹く風−現代アメリカの争点 人種・階層・コミュニティー』(永版社)を出版。
「それが僕のコミュニティーへの思いの原体験ですね」
その後の3年間は東京で外資系損保会社に勤務。東京生まれ東京育ちの妻とともに10年ぶりに郷里の山梨に戻り、家業の自動車修理工場を継いだ。
だが、有り余るエネルギー。地元で何かしたかった。まずは青年会議所(JC)に入った。
久し振りに会う同級生たちは、それなりの会社に勤め、良い暮らしをしていた。
「でも、皆、遊びに行くのは東京。地元の暮らしは『つまらない』を連発、不満だらけ」
そのうち、仲間たちがささやき始めた。
「笹本なら山梨でなんかやってくれる」
しかし、ふと我に返って愕然とした。
「俺だってみんなとそう変わらなかったと気付いたんです」
自問自答する日が続いた。
何のために俺はふるさとへ帰ってきたんだ? 子どもが生まれたら俺はどうするつもりなのか? 子どもを妻の実家に居候させて東京の中学に通わせるのか? 子どもを育てる環境、仕事をする環境として、今の山梨は嫌だ。なら、なぜ、ここにいるんだ? 
「ここに住んでいるのだから、自分の子供を育てたいと思うような場所に、俺が変えていかなければ意味がない。それでうまくいかなかったら、山梨を出て行こう」
決心した時、一つの組織を立ち上げた。"KOFU Pride"(甲府プライド)。アメリカで構想した、自らが誇れる地域の魅力を探し自らが楽しむサロンだ。
仲間たちと月に1回、地図を持って城下町を歩く、甲州味噌を作る女性たちとの対話、山梨県出身の映画監督を招いての映画上映会、蔵めぐり......。
「けっこう魅力的なまちじゃないか」
新しい発見がいくつもあった。意識していたのはいつも東京だ。
「東京にできないこと、東京人たちが羨むことをやろう」
だが、意気込みとは裏腹に、道のりは平たんではなかった。
一人で企画を考えレジュメを作り報告書を書く日々。10人で始めた"KOFU Pride"は、やがて1人抜け、2人抜け、気がつけば笹本さんだけになっていた。

プロデューサー・大木さんとの出合い。
二人三脚の始まり、山梨ワイナリー巡り。


大木さん。左手前にあるのは、「山梨ワイナリーマップ」。『br』の制作スタッフ作である

 
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「僕と出合った時は、ちょうど笹本が腹ペコ状態の時」
と、大木さんは笑う。
"KOFU Pride"の残り少ないメンバーと町めぐりをしている時、笹本さんはふらりと大木さんの店に立ち寄った。
「だいたいまちづくりやるようなヤツって怪しいヤツが多いじゃないですか。口ばっかみたいな(笑)」
歯に衣着せぬ大木さんの言葉は率直だ。
「田舎で店やってるとね、地域活性化などを机上で考えて語ることなんてどうでもいいんですよ。まず自ら力のある店を構えることが大事だし、それこそが本当のまちづくりじゃないですか? 最初はそんなことにかまっている暇もないし、自己防衛もあって、思いっきり、(笹本さんを)うがった眼で見てました」
実は、大木さんもUターン組。5年間、東京の企業に勤務、PR・広告・編集・店舗開発などを経験した。山梨に戻り飲食店プランナーの妻と「あらゆる人が集まる場を」と、2000年にカフェをオープンした。
笹本さんが立ち去った後、大木さんの手元には一冊の本が残された。挨拶代わりに笹本さんが置いていった、笹本さんの自著『サンドタウンに吹く風』だ。
「で、なぜか僕、手に取ったんです。で、これだけの本を書くのは大変だろうなと。この人はちゃんとやるんじゃないかなと」
大木さんは笹本さんに電話した。
「あれを読んだんですか?」
電話の向こうで半ば呆れ驚く笹本さん。
2人の友情が始まった。
当時、「フォーハーツカフェ」ではまだ山梨ワインを取り扱っていなかった。
ある時、"KOFU Pride"の一員であり、機山洋酒工業の土屋幸三さんに、大木さんは言った。
「山梨のワイナリーはちっとも営業に来ない。ダメだね」
だが、現状を聞き、自らの無知を恥じた。
「土屋さん始め山梨のワイナリーでは一人の人間が製造・管理・瓶詰め・販売店への配達までの全てをこなしていた。そんな状態で『山梨ワインの情報発信をしろ』なんてどだい無理なことでした」
ワイン製造の本家フランスでは、ブドウの栽培、収穫、醸造、瓶詰めの各作業は分業化されており、地域の一つの産業を形成している。
「だから、各節から深い情報が出てくるんです」(大木さん)
一方、日本のワイン事業は家業。勝てるわけがなかった。だが、それゆえよそにはない、山梨が独自に育んできたワイン文化がある。魅力も感じた。
「我々が情報発信しよう」
何かしら事業をやりたいと、笹本さんは常々"KOFU Pride"で語りあってきた。具体的に動ける素材は、目の前にあった。
大木さんと笹本さんは、フォーハーツカフェへのワインの仕入れも兼ねて県内のワイナリー巡りを始めた。

東京と同じ雑誌を作ってどうする?
笹本さん、自ら取材、執筆、編集長に。

「日本のワイン業界に不足している部分を僕らが補う。つまり、造り手からでなく、『飲み手』からのアプローチです」
ワイナリー巡りをして見えてきたこと、感じたことを、僕らの視点で伝えてみよう。――山梨ワイナリーの物語を伝える雑誌『br』の誕生だ。
大木さんは前職の経験から、いつか自ら発信できる雑誌を作りたいと思い続けてきたという。 「山梨のメディアといえば、地元紙の力が圧倒的。オルタナティブなメディアがほしいと思ってきた」
『br』の制作には、地元の若いデザイナーやイラストレーター、印刷業者の仕事づくりの意味もあった。「フォーハーツカフェ」は多士済々なクリエーターたちが集う場になっていた。
「彼らをキャスティングしてプロデュースしよう」
大木さんの本領発揮である。
「じゃあ、金と制作には俺が責任持つから」
それが代表の仕事だと笹本さん。だが、『br』の制作費を広告に頼ることはしたくなかった。
「広告主体の雑誌にすれば、そこら辺にある雑誌と何ら変わらない。こんな田舎ではしがらみだらけになる。信念を貫けなくなる」
当初、印刷の実費だけを7名のメンバーが毎月1万円ずつ積み立てるスタイルにした。
創刊号号はある女性編集者に取材、執筆を任せた。が、意見が合わず、もめた。笹本さんは言う。
「結局、僕とは背負っているものが違った。僕にとっては、『br』はいくつかの仕事の中の一つじゃない。僕は人生かけてる」
2号からは笹本さん自ら取材、執筆を行うことを宣言。ワイナリーの経営について、同じ会社経営者としての立場と視点から書いてみたい。
結果、正直でまっすぐな姿勢が、ワイナリーの信頼を得ることにもつながったのである。

*『br』の「b」は白を意味するフランス語のblancとイタリア語のbiancoから。「r」は赤を意味するフランス語のrougeとイタリア語のrossoから採ったそうだ。

僕たちが担うのは、民と官の中間。
ソフトツーリズム(株)立ち上がる。

2004年、笹本さんたちはワインフェスなどのイベントの企画・実施、『br』の発行などを「ワインツーリズム山梨」事業と位置づけた。"KOFU Pride"からは7名が参加する。
今年2月、笹本さんを代表取締役社長に、まちづくり関連事業を行う組織「ソフトツーリズム(株)」を立ち上げた。大木さんは同社の取締役プロデューサーを務める。「ソフトツーリズム」とは自然、歴史、文化、産業などの地域資源を活用して創造する地域観光だという。「ワインツーリズム山梨」事業は、その具体的なモデルケースなのである。

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山梨ワインのファンを増やしながら、ファンをこの地へいざなう。個人商店として八面六臂の山梨ワイナリーの努力が少しでも報われるように。
まずは自ら飲み手になること。笹本さんは、「甲州ワインと言えば笹本(笑)」と大木さんが敬意を表するほどの甲州ワインの地元最大の個人購入者だという。味を知りつくし、ファンを自認。どこまでも徹底している。
「業界が努力不足、業界が悪いのだといってしまうのは簡単。でも、業界内から崩すことが難しいことは、自分の業界でわかっているから」
だからもがき続ける。
大木さんは言う。
「都会から田舎へ戻ると、まるで10年前にタイムスリップ。僕はいたたまれなかった」
多額の借金を抱えカフェを始めたのは、まずは人が集まる場所をつくろうと考えたから。しがらみと田舎の枠組みへの"抵抗"だった。
「ソフトツーリズム」のまちづくりの具体的な展開はこれから。
きょうも、笹本さん、大木さんは悩みながら前進している。

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